ある音楽家がいました。
彼は、「世界」を表現していました。
しかし、誰かが「世界」を曲げました。
彼は精神を病み、活動をやめました。
出会い
私は、快楽享楽の虜になってしまい、絶望的な状況でした。
そんな中、ふとYouTubeで音楽理論を学んでいると、「界隈曲の特徴」という動画に出会いました。
興味が湧いたので、「界隈曲」について調べてみると、「イワシがつちからはえてくるんだ」という楽曲を見つけました。
他にも、
「クロマグロがとんでくる」
「ヤツメ穴」
「.」
という曲があったので、聴いてみました。
テクノポップ調の音源、
芸術性とカオスを交えたような映像、
抽象的でどこか不気味だけれど、コメディ性をも感じる歌詞…。
「彼」の「作品」に、私は引き込まれていきました。
そして、「彼」の「作品」から、「界隈曲」というジャンルが生まれたことを知りました。
これらの曲を作った「彼」について、調べてみました。
するとそこには、悲惨な物語がありました。
精神を蝕む
「彼」はニコニコ動画で、さまざまな「作品」を上げていました。
その独特性から、多くの人に衝撃を与えました。
「彼」はTwitterで多くの人と交流し、著名人とも関わりを持っていました。
「4号」というキャラクターを作り、コミカルな「世界」を広げていました。
しかし、「彼」の「作品」を考察しようとする者が、ネット掲示板などに現れました。
「彼」にとっては、それがストレスでした。
ついには、自殺未遂を引き起こしました。
それをきっかけに、音楽家を引退しました。
人気者の心理
きっと、「『クロマグロがとんでくる』の歌詞が、戦争を彷彿とさせる」という話があったので、「彼」は「そんなつもりはないのに」とショックを受けて、音楽活動をやめたのかもしれません。
あるいは、人気が出たことによって、たくさんの人が「彼」自身に意識を向けたので、その生き霊的な重圧が、彼のメンタルを徐々に侵していった可能性もあります。
こう話すのは、私の経験と折り重なるところがあるからです。
その「経験」は、3つです。
1つ、中学生の時、自作のwikiを作り、たくさんの評判を得たこと。
2つ、高校生の時、自作の曲で文化祭に出たことから、男女問わず多くの人からの注目を集め、話しかけられることも多かったこと。
3つ、同じく高校生の時、オンラインゲームの世界で多くの人と知り合い、チャットアプリ「Discord」のグループ通話で、ラジオDJごっこをしたことから、たくさんの人気を得たこと。
これらに「共通」することが、1つ。
それは、「人にチヤホヤされるのは地獄だった」ということでした。
理由は、2つ。
ネット炎上を経験したことのある私にとって、人気者になった時に、人の目を気にして、神経を常に張らなければならないのは、言い換えるなら、常に不安を感じて生きなければならないようなものでした。
「陥れられるかもしれない」
「失敗するかもしれない」
善も悪も分からなかった当時の自分というのは、人気と引き換えに、そのような中で生きなければなりませんでした。
そして、もう1つ。
人間というのは、誰かに意識を向けると、自分の「生き霊」がその人のところに向かいます。
そして、その人に意識を向け続けるなら、「生き霊」は常にその人に留まることになります。
もし、人気者になれば、その人にとっては、常に自分の周りに「生き霊」が集団ストーカーをしてくるような毎日になるので、無意識のうちにストレスを感じざるを得ません。
人間の霊というのは、基本的に重圧感があります。
例えるなら、話しかけづらい雰囲気を放つ、表情の死んだようなデブのオッサンが、常に自分の部屋の角で三角座りをしているような感じです。
あなたは、「早く出ていってほしい」と思うでしょう。
人気者というのは、そのような状態です。
もしかしたら私も、常にそのような気配を感じていて、頭がおかしくなっていったのかもしれません。
きっと「彼」も同じだったのでしょう。
「自分自身」が注目されることで、精神を病んだ「彼」の中には、
純粋に「世界」を楽しんでほしかった。
自分が作った「世界」を「曲解」されたくなかった。
「作品」よりも「自分自身」が評価されるのが、真の目的ではなかった。
このような心情があったのかもしれません。
人間にとって最も必要なのは?
ここで質問です。
人間にとって、何が一番最高であり、必要だと思いますか?
富?
名声?
異性?
先祖たちは今に至るまで、それを手に入れようとしました。
実際にそれを手に入れた者もいました。
しかし、なぜか彼らの心は虚無感に襲われました。
欲しいものが手に入ったのに。
「この世の成功とは何なのか。」
「本当の幸せとは何なのか。」
「際限のない欲望は、いつになったら満たされるのか。」
では私が、先ほどの質問に回答いたしましょう。
人間にとって、何が一番最高であり、必要ですか?
「神様の愛」です。
神様といっても、「聖書の神様」のことです。
「神様の愛」以外の誰も、心を満たすことはできません。
「神様の愛」に勝るものはありません。
「神様の愛」以外は、集めても意味がありません。
これが真理です。
「神様の愛」を受けた上で、富や名声などを得ることで、初めて人間の心を満たすことができます。
それ以外の方法では、心を満たすことができません。
人間にとって、「神様の愛」が一番最高であり、「神様の愛」が一番必要です。
しかし、あなたは尋ねるでしょう。
「神様はいるのか」と。
答えは、「信じるかはあなた次第」です。
しかし、神様は確実に存在していて、さらには、あなたを他の誰よりも愛しています。
その愛を感じるためには、大前提として「信仰」が必要です。
信仰が無ければ、神様を感じることは一生ありません。
聖書には、こう書かれてあります。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
新約聖書「ヘブル人への手紙」11章6節
口語訳
「神様」を信じ、「神様の愛」を信じること。
それが、神様の愛を受けるための第一歩です。
そして、神様の愛をもっと受けるためには、自分が神様を愛しなければなりません。
その方法は、こちらの「有料記事」に書かれてあります。
この「有料記事」に書かれてあることに従って、本当の幸せに向かってください。
記事は月単位で購入できます。銀行振り込み手数料抜きで800円です。
皆様が本当の幸せに行き着くことをお祈りいたします。
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